―京都の花街はどのようにして生まれたのですか?
京都に数多く存在する寺社が、花街の成り立ちに大きく関係しています。古代・中世において、神社仏閣への参拝が民衆のささやかなアミューズメントでした。京都には八坂神社や北野天満宮などの全国的に名高い寺社が多く、たくさんの人が集まるスポットだったんです。その門前に、参拝客に茶菓をもてなす「水茶屋」が生まれ、これがお茶屋となりました。お茶屋では次第にお酒や料理を出したり、給仕の女性が三味線や舞などで客をひきつけるようになります。そのようにして、お茶屋や舞妓・芸妓が集まる場・花街が出来上がりました。
―花街が担う役割とは?
私は大学で「宴会学」という講義を持っていますが、宴会はコミュニティの維持に必要な装置だといえます。花街はそれを行う場所。長い歴史の中で培われてきた、人と人とのコミュニケーションの上に成り立つ、日本の伝統的な文化を残しているのです。また着物、菓子、酒、料理、建物など、衣食住のすべてにわたって日本の美や知恵が凝縮されており、その存在自体が文化財とも言えます。同時に、新しい文化創造の舞台であり続けている「日本文化の学校」としての役割を果たしているのです。
―花街は敷居が高い、というイメージもありますが?
私も学生を連れて行くことがありますが、どなたでも楽しめるよう工夫して下さる芸舞妓さんがいらっしゃるので、心強く思います。
―花街と菓子の関係とは?
花街のルーツである、社寺の門前で参拝客へお茶を出すお茶屋では、菓子も一緒に振舞われました。今も寺社の門前には多くの老舗和菓子店が残っています。有名なのは、今宮神社の東門前に並ぶ二軒のあぶり餅店などがありますね。北野天満宮東門前の上七軒も、室町時代には「あふりもち」(団子)を商う茶店からはじまりました。それぞれの花街の紋章を観察してみてください。京都最古の花街と言われる上七軒は「つなぎ団子」といわれる紋章を使っているなど、花街と菓子のつながりの深さがうかがえるはずです。